会社を辞めた理由
みなさん、こんばんは。
MX代表のみなとです。
今日も、毎日のブログを書いていきます
工務店の皆さんの力になったら良いなと思って書いています。
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《《《2025年12月2日 エコ住宅をつくる中小工務店のためのブログ第1114号》》
レッドブルのドライバー発表が12時に過ぎにあるということで、個人的には悩ましいのですが、ロイターが報道したので、来年のシートは日本人にはなさそうな感じですかね。
さて、今日は顧客データベースの価格調査やっていました。
キントーンというテレビCMやっている物があるのですが、年間20万円以下でとりあえず使えるみたいなので載せ替え本格化しようかなと考えているところです。
当社は、セールスフォースを使っているのですが、ちょっと高すぎるんですよね。
さて、今日はデータベースの話でもしようかなと思いましたが、そんなに深く知らないですし、なんか自己開示でもしようかなと思います。
会社を辞めた理由でも。話しましょうか。
どうして会社を辞めたのか?
20代の時は何にも将来のことを想像できませんでした。大学を出て、就職を決めましたが、どうしてそこに決めたかというと、そこしか採用してくれなかったからです。
理系だったので、普通は教授の紹介で就職を決めます。ですが、子会社は何だかイヤで、かといって大阪の会社もイヤで東京の会社ばかり受けていました。
でも、全滅でここだけが採用をしてくれたのです。何の対策もなったので、本当に行き当たりばったりでした。
23歳で就職した会社は、当時東証2部上場企業でしたが、1年目に1部上場になっていました。
特に大それた目標は全くなく、地元でもない北関東に就職した僕は、アメリカ出張にいければ満足だったことを思い出します。
入社時の配属は設計でしたが、1ヶ月で営業に移籍して、更にアメリカ担当のセールスエンジニアを数年やって、その後ドイツ駐在の辞令が出て辞めました。
当時は迷惑だったと思いますが、あんまり他人の事を考えられなかった気がします。
ドイツ駐在も、ドイツに行ったこともなく、更に部署変更の上の駐在で、仕事の変更とよく知らない海外ということで、かなり混乱しました。
当時は言語化できなかったのですが、多分、怖かったのかもしれません。
そして、最大の理由は、本当に行きたかったアメリカ、更に今までやってきた仕事でない駐在でした。7年間の辞令が出たので、その時はここで辞めないと、日本ではもう働けなと思って、転職活動をしたものです。
当時は、この会社は好きでしたし、設計、製造、技術(ソフトといっていました)などの全部の社員700人がほぼ知り合いだったので、居心地もとても良かったですね。
今にして思えば、少し期待されていたのかもしれません。創業社長のお供で、アメリカ出張に行ったこともありますし、ふわふわした感じで仕事を楽しんでいました。
夢の国にいたような感じですね。
でも、所得があまりに低かったのも、当時の退職の理由の一つでしたが、今思うと言い訳だったのかもしれません。

異業種へ
他のOBは退職しても、同じ業種で働いている様ですが、私はどうしてか異業種に転職しました。
食品業界は、居心地が良いのかもしれませんね。
転職して、勤めたのが2つ目の会社です。ここでは、IT系の機械、部品を扱っていました。
今流行のTSMC(台湾積体電路製造)に部品を売ったりしていましたよ。
その辺の話は、また書きます。
基本的に今まで辛かった経験は2つしかありません。それは次の会社のお話しです。
不思議な縁で、今の会社をやっています。
言いたいことは、人生至る所に青山ありです。
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