失敗ばかりの人生だ 8-1
こんにちは。
MX代表のみなとです。
今日も、毎日のブログを書いていきます。
工務店の皆さんの力になったら良いなと思って書いています。
《《《2022年12月28日 エコ住宅をつくる中小工務店のためのブログ第66号》》》
今日は水曜日なのですが、今日で仕事納めの方も多いと思います。
当社は27日が仕事納めだったので、1日休暇でした。明日も1日温泉でのんびりさせてもらいます。
このシリーズも色々書いてきました。小さい失敗は人間ですから沢山しています。
先日もレンタカーで2tトラックを運転していたのですが、最後の最後でサイドミラー壊してしまいました。
500km以上無事に移動したのですが、ゴールの数kmを狭い道を案内されて、気がついたら。
自動車の事故は、ぶつけたというのは、多分数回ありますが、命に関わったことや人身事故は幸いなことに被害者にしてなっていません。
被害者は2回ありました。一度は5歳の時で、もう一度は大学生の時です。どちらも入院はしましたが、生命に別状なくて何よりです。ですから、自動車の運転はとても慎重にやっています。
今日は書くか、書くまいか迷ったのですが、父親の話です。実は、冒頭の話はつながっていて、彼は自動車に深く関わっていまいた。
僕が物心ついたときには、ホンダZに乗っていました。多分、4歳ぐらいだったと思います。
モーレツ社長
僕の父親は、昭和10年生まれの、営業マンでした。オートバイの販売から、ホンダ4輪参入に伴って、自動車販売の時代に、かなりの実績があるそうです。いわゆる高度成長期のモーレツ営業マンですね。ずーっと仕事していました。
父親の勤めていた会社のオーナーの孫が中学校の同級生で、彼が話をしているのを聞いたところでは、2輪の営業の時に、月間にスーパーカブを180台販売した実績があるそうです。ちょっと想像がつきませんが、1台10万円として、1800万円の月商は当時は凄いのかもしれません。
その後、自動車販売でも頭角を表して、創業オーナーが亡くなるときには、役員として登用されていたそうです。
彼は、僕とはかなり違って、いわゆるモーレツな営業マンでした。売って売って売りまくるのは光通信も真っ青です。
数字を上げる事を至上主義として、会社を稼がせることに集中していました
その後、オーナーはホンダの販売からは手を引き、三菱自動車の販売に参入します。
今では勝敗が見えていますが、三菱自動車が設立当初は天下の三菱が満を持して市場参入して、ミラージュという国民車を投入、最高でシェアは、トヨタ、日産に次いで3位になったこともあるのです。
当時は、ミラージュ、ラムダ、そしてパジェロは、3大商品で、パジェロでは、篠塚建次郎という選手はパリダカールラリーで、優勝した事も話題になりました。
しかし、自動車の開発力では、トヨタ、日産、ホンダに大きく水をあけられ、日が陰って来ていることに事件が起きたのです。
と言うこと、何だか引っ張るようで恐縮ですが、明日事件については、書いていきます。
なんでこんな父親の事件を書くかというと、その彼の事件が今の僕を作っていると言っても過言ではないからです。
トラウマとか、そんな簡単にはいえない、心の傷ではない、傷というものですね。年末にちょっと吐き出させてもらって、来年は新しく手がけていきたいと思って、書いてみました。
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