失敗ばかりの人生だ 7

こんにちは。

MX代表のみなとです。

今日も、毎日のブログを書いていきます。今日は勝手に書いている日曜日の失敗談です。

工務店の皆さんの安らぎになったら良いなと思って書いています。

《《《2022年12月11日 エコ住宅をつくる中小工務店のためのブログ第49号》》》

ワールドカップが、いよいよ準決勝の組み合わせが決まりましたね。これまで32にチームいた参加国が4つになりました。

ここから勝ったチームは数日休養して、水曜日の夜の試合に臨むわけです。

それにしても、生き残るだろうと思ったチームが負けて本当に意外です。

予選のドイツ、ベルギーに続いて、ブラジル、ポルトガル、スペインなんかもいなくなりました。

アルゼンチンとフランスはともかく、クロアチアとモロッコは超意外でした。

クロアチアは前回準優勝なのでともかく、モロッコは初のベスト8で、初のベスト4です。

ちなみに、今回の大会で負けていないのでこの2チームだけです。フランスはチュニジアに負けて、アルゼンチンも初戦でサウジアラビアに負けました。

つまり、負けたことがあるチームと、負けていないチームの激突になるのですごく興味深いですね。いずれにしても死闘になるのは確実です。

特にモロッコは今回の大会で失点をほとんどしていません。沢山点を入れられて狼狽するのか、そもそも強い守りがフランスに通用するのか注目です。

残り3位決定戦を入れても4試合しかありません。でも朝早いので真剣にはみられないと思いますけれども。

いずれにしても、どのチームも失敗を通じて、強くなるというのは同じですね。日本代表にも、今回の敗戦を通じて学んで貰えればと思います。

失敗ばかりの人生

どうせ人生は失敗の連続です。今日はちょっとだけサラリーマン時代の大失敗を書きます。

それは、1本の電話から始まりました。

機械がないんだけど、どうなっているの?

東京のある商社に転職して1年過ぎたぐらいに、四国の超大手企業から機械の注文を貰いました。

受注の流れは、四国の超大手企業⇒僕の商社⇒徳島の機械製造メーカーという形です。

確か、3億円ぐらいの商談だったと思います。

受注をしたのは、6月で手書きの注文書がファックスで流れてきたのを覚えています。

その処理に手間取りましたが、とりあえず受注処理をしてメーカーに発注しました。そして、納入希望日が確か11月初旬だったと思います。

発注した超大手企業の係長が、納入前立ち会いに行く事になっていました。

その日は、僕はアメリから来ていた別のメーカーのアテンドをしていて、横浜にいたのです。

その時に、冒頭の電話がかかってきました。

僕は意味がわかりませんでした。納期は短いながらも充分な期間があったし、その前の週に徳島の機械製造メーカーの部長と一緒にアメリカへ一緒に出張していたのです。当然ですが、来週立ち会いですが、仕上がりは大丈夫ですか?と聞いたのですが、若干の遅れがあるが取り戻せる、問題無いということだったのです。

直ぐに電話があったことを上司に報告したら、直ぐに徳島に行った方が良いという事で、横浜から飛びました。

機械工場に行くと、発注者の超大手の部長、課長、係長が完全に怒っています。元々係長だけだったはずなのに、部長と課長が頭から湯気が出そうです。

そして、機械製造メーカーの部長も担当者もうなだれています。いわゆる修羅場という奴ですね。

直ぐに納期の対策会議が始まりましたが、どう考えてもここから3ヶ月以上はかかります。

おまえの会社を訴えてやると、ホワイトボードをバンバンと叩いて、怒鳴られました。

工場に観に行くと、翌週に納入する機械が影も形もなかったのです。

実際は2メートル角のフレームだけはありましたけれども、中に入る2億円以上の部品は1つも組たたっていませんでした。

目が点とはこの事のことです。その後も、夜中の1時過ぎまで絞られましたが、特に何のアイデアも出ませんでした。メーカの部長が逃げ腰で会議にもならないのですから仕方ありません。

確かに中間立ち会いはしませんでしたが、遅れはあっても機械が影しかないとは流石に思いませんでした。

ここから、僕の人質生活が始まりました。11月から1月いっぱい、正月3が日以外ずーっとこの四国の超大手の生産工場に住んでいました。

激しい追い込みと、思った以上に進まない現実のギャップに死んだ方がましなぐらいな気持ちでしたが、この時も不思議と誰も恨む気持ちになりませんでした。

結局、自分の目で判断していたら、こんなことにはならなかったのです。もっと早く解っていれば、四国の超大手企業も生産計画を調整できたでしょうし、挽回策は打てたと思います。工程管理をすべて徳島の機械製造メーカーに丸投げしていた僕の落ち度ですからね。

その時は、とにかく現場に人を入れる事に真剣でした。そのために、現状が如何にやばいかをいろんな人にずーっと電話をしていました。

結局その機械製造メーカーはその案件で億単位の損失を出したそうです。それはそうです。最大で3億円の機械に100人ぐらいの人がいましたから。

その後、僕は最後まで逃げなかったことをなぜか評価されて、その四国の超大手企業からその後も数千万円ぐらいの注文をもらいましたが、もちろんその徳島の機械メーカーは出入り禁止です。四国の超大手企業の売上も納期遅れて数十億円もの売上がなくなったそうです。

当然、徳島の機械製造メーカーの担当部長はクビになって、どっかに行ってしまいましたし、徳島の会社自体ももうありません。損害賠償はなくても、業界の噂は消せないですからね。

この失敗で工程管理と、逃げない事の重要性を学ぶことができました。逃げなければなんとかなります。決して、逃げちゃダメなんですよ。

でも、今思い出しても冷や汗が出るぐらい辛い体験でした。ですが全ては自分の責任です。

結局、四国の超大手企業の担当係長は左遷されて、課長は部長になる道を絶たれました。ですが、皆さん僕には普通に接していただいて感謝しかありません。その四国の超大手企業は社名を変えて生き残っていますが、この当時作っていた生産物はもう作っていません。この当時社員も誰もいないでしょう。

今から25年ぐらい前におきた、サラリーマン時代の最大の失敗談です。サラリーマン時代は大きな失敗をまだやっていますが、逆に成功も大きかったのでなんとか生き残っていました。でも、担当役員からすると大失敗を大成功を繰り返す厄介な社員だったんだろうと思います。

僕の人生って波瀾万丈なんですよね。自分で招いている気もしますけれども。

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Posted by 湊 洋一