失敗ばかりの人生だ 2

こんにちは。

今日も、毎日のブログを書いていきます。今日は毎週書くプライベートの日です。

工務店の皆さんの和みになれば幸いです。

《《《2022年11月6日 エコ住宅をつくる中小工務店のためのブログ第14号》》》

最近の失敗例を

前回は子供の頃の失敗例を書きましたが、その後も順調に失敗を重ねました。

サラリーマン時代に、とても辛い事がありました。あの年は本当に悪いことが重なってやってきたので、不思議な1年でした。同じ年に、親と義妹の葬式と弟の結婚式に出たという珍しい年でした。そして、その事件は起きたのです。

ですが、今回はその話では無くて、近年最大の大失敗です。この年の不幸な大事件の話は、後日改めて書きます。

ところで、僕は他人の感情に移入する事がとても苦手です。

小説を読んだり映画を見てもちろん泣いてしまうこともありますし、論理的に考えてそのような行動になった背景というのは解るのですが、どんな感情になるか?といわれてもよくわかりません。

子供の頃に、母親から『相手の気持ちを考えなさい!』と怒られて絶望した事を覚えています。

だってわからないのですから。ここでいう相手とは、母親のことです。私がどう思ったのかちょっとは察しろと叱られたわけです。

どうして、叱られたのか全く覚えていませんが、ただただ絶望した事をなぜだか覚えています。

とにかく、絶望的に鈍感です。相手に好意を持たれていたり、悪意を持たれていたりするのは本当のところよくわかりません。

さらには、あんまりプライドも高くないんです。だから、なおさら人の気持ちに鈍感になります。

プライドが高い方は、自分の扱いが悪くて、相手を許せない気持ちになるので、俺を誰だと思っているんだ!みたいなことがありますよね。

そんなのは全くありません。

悪い対応をされても、そんな日もあると思うことができるんです。だから、最近ますます怒らなくなりました。機嫌が悪くなることはありますがね。

そのために、いつの間にかひどく嫌われているって事が度々あります。特に男性には全くといっていいほど好かれません。

つるむのも、傷をなめ合うこともできないからかもしれませんね。

今日の話は、この鈍感さが最大の原因だと今なら解ります。ですが今更、自分は変えられないと諦めています。

なので、この文章を読んで、僕のことをどう思おうが皆さんの自由です。そして、プラベートの感覚って僕には希薄ですね。多分オヤジの影響です。

2年目の出来事

実は、現在のMXエンジニアリングという会社は、2人代表で設立した会社でした。

そして、CW断熱のウレタンの施工は、その工法で特許を取得した会社にお願いしていました。

つまり、設立当初は、ウレタンの施工を手配する会社(サプライヤー)が1社しかなくて、その商品を売らせてもらっていたのです。それ以外はセミナーの売上がありましたが、大きな売上ではありませんでした。全体の2割無かったですから。

2人の間には一応、序列があって僕が社長で、彼が代表取締役副社長でした。この当時は対等だと思っていました。そのため、彼のことをあえて副社長とは呼ばずに代表といっていました。実際に株は双方50%でした。51%と49%では無くて、ちょうど同じ額だったのです。これも良くなかったのですが、例によって鈍感なので、ただただ代表のことを信じていました。

二入で設立して、1年目は大赤字だったのですが、2年目で大幅な売上増で、黒字化に成功して、順調に売上が伸びていました。当時は東日本大震災直後、グラスウールが市場からなくなっていたので、確実に断熱ができるウレタンは工務店にはありがたい存在でした。

この序列みたいなものは、その前の会社で、彼が社長、僕が専務だったのですが、その社長がかなりいい加減な部分もあって、結果的に不透明な資金も使っていました。その会社は、彼が退職した直後に、僕がオーナーからクビになったので、2人で相談して始めました。設立の話は、また後日。

なんとなく、お金の部分だけでは無くて、いい加減なところをきっちりしたかったので、僕が社長で、彼には代表取締役ということにしてもらいました。もちろん代表も快諾してくれました。その時に引っかかっていれば、逆のポジションでも、全然構わなかったのですけど。

私がどちらかといえば、集客などのマーケティングを受け持って、彼にセミナーとお客様対応を任せていました。もちろん、今のように外部の講師にお願いできなかったので、断熱材以外は彼ができる新しい集客方法などを、僕が企画して彼が販売していました。

そして、1年半ぐらい一緒にやっていたのですが、事件は起こります。

まずはちょうど2期目が終わる直前にウレタンのサプライヤーから、当社との取引停止の申し出を受けました。

その当時はサプライヤーが1社だったので、とても困りました。当社の売上はほぼゼロになる訳です。数億円の売上がゼロになるので、当然ですが会社を閉める事になります。

しかも、いきなり、来月から取引は止めるといわれたのです。そして、工務店の注文は全部当社が引き取るから、そのまま注文書をこちらに渡して欲しいといわれたのです。

彼の申し出の理由は支払いに関する不満という説明でした。

当時は100%前金の約束で商売をしていたのですが、代表の給与がとても大きく負担で、徐々に支払いが遅れていたのです。とはいうものの、同じ月での支払いはできていたのですが。

借り入れを起こせれば良かったのですが、前年度の赤字でそれはむずかしかったのです。そのため、自転車操業になっていました。

その時は、社長の僕は確か代表の半分以下の給与水準だったと思います。社長なんだから、代表よりも少なくても、我慢しないと仕方ないと思っていました。

とにかく、そんな事情が原因だったのですが、そんな言い訳はサプライヤーにはあまり詳しく説明しませんでした。

とにかく約定通り100%前金でないから取引を止めるというわけです。

本当に取引が止まってしまうまで2週間ぐらいの時間しかありません。

それを受けて思いつくだけの相談相手に話をしに行きました。

中には、そんな状況だったら、うちに来たらいいという滋賀県の機械メーカの社長さんがいらっしゃいました。涙が出るくらいにありがたい話でしたが、どうにも負ける様に感じて応じませんでした。

中には、著書もある当時親しくしてもらっていたコンサルタントには頭を丸めて土下座をすれば許して貰えるかもしれないという方もいました。

その言葉にすがるようにして、本当に丸坊主にして土下座をしに、京都のホテルまでいきました。お詫びをして、取引の正常化とチャンスをいただけにかというお願いをしたのですが、許し貰えませんでした。そんなことをされても気持ちは変わらないということでした。

赤ちゃんだった娘が、丸坊主になった僕を見て『パパがおじいちゃんになっちゃった』といったのを今でも覚えています。

色々試してみましたが、どれも上手くいかず、時間は過ぎていき。彼の指定した期日になりました。

結果的に、サプライヤーの申し出通りお客様に説明して、一旦取引を彼の会社に変更することにしたのです。

その後1ヶ月後今度はその代表から退職申し出てがありました。このまま会社にいても自分の給料も出せないだろうからということでした。

全てなくなった

毎月数千万円あった売上は一瞬にしてゼロになりました。

相談する相手もいなくなりました。

社員も自分の嫁さんを除いて、全て辞めてもらうことになりました。

何にも無くなったのですが、不思議ともう終わりだとは思いませんでした。ある意味、僕は本当に打たれ強いんだと思います。

その後の話はちょっと長くなったのでこの辺で、また来週詳しく書きます。

こんなことがありましたが、このサプライヤーと元代表には何にも悪い感情はないのです。

普通なら悔しいとか、はめられた!とか思うかもしれませんが、プライドが影響しているのか自分が甘かったなとしか思えません。

彼ら2人は何事も無かったように一緒に仕事を始めていましたが、最終的に数年後に空中分解してしまったそうです。

サプライヤーが望むような売上が伸びなかったということです。

サプライヤーは今も商売を続けているようですが、元代表とはもう誰も連絡が取れないようです。先日、久しぶりに電話をしてみましたが、留守番電話になって折り返しはありませんでした。

この一連の事件は、僕がもっと早く手を打っていれば防げた事件ですから、全部の原因は僕の甘さでです。

ですので、怒りの感情は当時もそして今も最後まで沸いてきませんでした。

もちろんもう信頼はできませんが、彼らへの怒りは不思議とないものです。

いずれにしても、僕が相手の気持ちに共感できないのが最大の原因かもしれません。頭もあまり使っていなかったですね。

このブログにこのことを書いたのは、浄化するためかもしれません。当時の苦しくて悲しい感情に向き合うためでもあるかもしれません。

読者の皆さんも辛く、厳しい状況は立場が違えどあるでしょう。でも、こんな状況からも何とか会社を続けて、以前よりも売上を伸ばす糸口は誰でも時間をかければつかめます。

どんな絶望からも、社長が諦めなければ復活の道があるんです。諦めたらそこでお終いです。

来週はちょっと明るい話題を書けると良いなと思いますけれども、さてどうなりますか?

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Posted by 湊 洋一